*今日は変わった文の書き方♪楽しみながら書いています、皆さんも是非楽しんでいってくださいね♪
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Contents
人間は結局、死ぬ。
僕には、多々そう思うことがあった。
母の病気。
自分の死の瀬戸際の経験。
人は、死ぬ。
これは、この世界の絶対。
『人は死ぬ』
そう、中学生の僕は思った。
どんなにおとなしくしていても
どんなに安全な道を行こうが
どんなに健康に気をつけようが
人は死ぬ。
どれだけいい人でも
どれだけ頑張ってる人でも
人は、必ず死ぬ。
そして
僕は思った。
それなら、好き勝手やった方が得なんじゃないか?
気を使わずに
大人しくせずに
人に迷惑さえかけなければ
自由なのではないか?
どんな大人になりたいか考えた高校生。
どんな大人になって
どんな仕事をするか考えた。
その前提にあるのも
人は死ぬということ。
その上で何をするか?
どう人生というゲームを立ち振る舞うかが重要になってくると考えた。
慎重に選べ。
どんな大人になろうか。
ずっと友達と一緒にいると思っていた。
そんな単純ではなかった。
僕が年をとるにつれて
周りも年を取り
環境が変わっていった。
さて
そろそろ本気で考えた方がいいのかな?
と考えながらも
何も考えていなかった
ただ1日を爆笑して過ごす。
それだけ。
周りから見たらただ笑ってるやつ。
しかし、僕はいろんな経験をした。
楽しいことだけでなく、波があった。
普通の人が味あわないような、きつい思いもした。
色んな感情にさせられた。
肉体的にも
精神的にも
そこらへんの人が経験しているもの以上のきつい思いをしてきた。
だからこそ
ちょっとやそっとじゃ
僕は倒せない。
でも
必ず人は、死ぬ
社会に拒絶された大学生。
大人=会社で働く
仕事=会社で働く
社会=会社
そのような思考だった僕は
偶然
視野を広げられる機会を得た
ある意味、当時の僕にとっては
ピンチと呼べる瞬間だった
そんな時に世界が広がるチャンスがあった
そして
同時に原点に戻った
人は、必ず死ぬんだ。
いい子にしていても
安全な日本で暮らしていても
健康に気をつけても
必ず人は、死ぬ。
ゴールは、全員同じ。
俯瞰してみてみる
それだったら
何をしていても変わらないじゃないかと
誰かに怒りたくなった
何をしていても
ゴールは死
なんだこれ。
しかし
逆をいえば
なんでもできる
終わりは、死
無な訳だ。
それなら、僕は会社に務める必要があるのか?
僕は会社員を否定してるわけではない。
これが僕の生き方。
そして
起業をして、自分で稼ぐことをお勧めしてるわけでもない。
僕が今話しているのは
働き方ではなく、生き方
もっと言うのなら
在り方。
僕も結局死ぬ。
だから、今を生きるために時間を使うことに対して
疑問を持った
それなら、
貧乏でも
自分がやりたいこと
なりたいもの
行きたいところにいく
大人しく、
死に近づくだけなんて
まっぴら、ごめん。
僕がサラリーマンをやらない理由
それは
つまらないから。
前提は、
人は必ず死ぬ
ということ
それなら、僕は
その限られた時間に色んなモノを詰め込みたい。
どんな人生だったか?と言われた時に
あれやこれや
といいたい
他の人よりも
色んな経験をしたい
あなたはどう思う?
僕は、どうせ死ぬのなら
大変でも
この人生を謳歌したいんだ
確かに
会社で働くことは、素晴らしいことだ
人間は働かないとねと思うが
僕は人生は、仕事だけでない と考える
もっと言うのなら
仕事は、会社で働くことだけではない
どうせなら
自分の存在意義を仕事で示し
それと同時に人生を謳歌してみたい
人は必ず死ぬ
うまくいっても
失敗しても
荒波でも
安定しても
人は死ぬ
何をやっても
死ぬんだよ
それなら、ちょっと危険を犯してもよくないか
ちょっとスリルのある人生にしてみてもいいのではないか?
ちょっと冒険をしても、いいのではないか?
人間は、必ず死ぬが
ちょっと冒険したくらいでは死なないよ
逆に
冒険しなくても
最終ゴールは『死』
それなら
途中に
ちょっとした刺激のある
時にハラハラして
時に焦って
ちょっぴりリスクなるような冒険をしても
特に、ゴールは変わらないのではないか?
抽象的な話になったが
僕がサラリーマンをやらない理由はたったのこれ
原因は価値観だが
人は、結局死ぬのだから
小さな世界で固まってないで
大きな世界を見てみてもいいのでは?ってことだね
まるで、進撃の巨人。
壁の外側を見ずに死ぬなんて寂しいね
小さな世界だけで死にたくない
こんなに大きな世界だよ。
僕の世界を会社という中に狭めたくない。
ただただそれだけ。
僕という一人の人間を大事に扱いたい
西山ってどんな人なの???
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