【読まなくても大丈夫です】教師を目指すときに自分に誓ったこと

こんにちは、西山です

 

僕のプロフィールはこちら

 

今回は、西山にについて書いていきます

 

 

今回の記事は

・西山の事が好きない人

・西山の事が大好きな人

・西山の事が好きで好きでたまらない人

 

には特に読んでいただきたいなと思います笑

 

 

Contents

今の西山について

一応、代表取締役として社長をさせていただいています

小さい会社ながら、せかせか頑張っています笑

 

お陰様で同世代の中では豊かな方だと思います

 

コツコツですが売り上げも上げてきて

時間も好きな時に作れて、タワーマンションに住んだり

事務所を構えてオリジナルのブランドを立ち上げてショップもやっています

 

 

事業内容でいうとこんな感じ。。。

 

・ファイナンシャルプランニング(FP)事業をしています

・コミュニティ事業(会社員に稼ぐ、増やす、守る「副業や資産形成について」を教えています)

・エージェント育成事業(社会貢献につながるような価値ある商品と企業を世に広める為にエージェントの育成をしています。副業や起業のサポートとしても行っています)

・FXのスクール事業(お客さんも選びながらスクールの運営をしています)

・EC事業(商社と提携し数千万ほど仕入れに使い、自社ブランドと事務所を契約して本格的にやっています)

・インスタグラムマーケティング事業(日本一優秀なマーケティングツールの紹介。マーケティングサポート)

・コスメ事業(京都大学が見つけた成分と東証一部上場している企業の共同製品の流通。来年に大手広告代理店によりテレビCM予定)

 

 

 

という感じですが

僕自身、天才でも才能があったわけでもありません(ありきたりな文ですが笑)

 

 

ビジネス初期の僕についての記事はこちらです

【ブログ】思い返してみると〇〇だったビジネス初期

 

過去の西山

昔の話をすると引かれてしまうのであまりしたくないのですが

 

僕はダメダメな人間でした

 

俗にいう「問題児」

オトナのいう事を聞かずに、自分の気持ちだけで動く自己中な人間でした

 

中学生から、猛烈に大人の人たちから嫌われていました

 

 

学校に行けば説教

「お前はゴミだ」「くずだ」「みんなのじゃまになる養護学校に行ってほしい」など先生に言われていました

 

そういう中学校生活、高校生活を送っていた僕は自分でも「自分は馬鹿でクズ」と思うようになっていました

 

西山少年の夢

そんな中学、高校生活を経て、大人たちに疑問を感じました

 

ある日「やってもない罪を着せられました」

それも先生たちに

やってもないことだから、やってないと主張しましたが

僕の見方をする人は誰もいませんでした

 

 

3時間近く部屋に入れられ、先生たちに説教をされていました

 

そんな状況を見かねた友達が本当の犯人を見つけて来てくれて解決しました

 

 

 

 

その時に思いました

 

こんな大人になりたくない

 

 

 

そこから、僕は自分が先生だったら?と思うような事が増えてきました

 

 

気が付いたら僕の夢は

当時大っ嫌いだった、「先生」になることでした。

 

西山少年にはメンターがいる

 

そんな西山少年にも信用し、尊敬する人がいました

 

 

高校の時に通っていた塾のO先生

大学生の時に働いていたバイト先のO先輩です

 

 

O先生との出会いは中学生の時でしたが

高校生になった時に僕は別の先生の授業を受けていましたが

確か17時から22時くらいまでの授業だったのですが

2時間くらい遅れて、22時まで寝ているのような学生でした

 

 

その授業態度を見かねて、親に連絡が行きました

怒った親は、当然塾をやめるように言いましたが

 

その時にO先生が関係もないのに

自分が責任をもって個別で面倒を見ますと言ってくれて

継続されました

 

 

その熱にやられて僕はなるべく塾に行くようにしました

そのO先生は他の校舎の先生達からも噂をされるような人でした

「O先生は、生徒思いで、ずっと生徒の事を考えていて家に帰るのも時間がもったいないといい

ホテルやネットカフェで変える時間も惜しんで授業の準備や勉強をしている」

 

 

そのような話を聞いていたからこそ

僕は授業に言っていました

 

個別授業なのにも関わらず

その先生は特別に僕をグループの授業でしか使えない教室で授業をしてくれていました

 

 

だけど

まあ、ここまでされているのにも関わらず

僕は授業中に寝てしまっていました笑

 

その時に初めて普段怒らないO先生も

 

机を蹴って怒りました

 

その時に言われた言葉が印象的で

未だに、僕の価値観に影響しています

 

O先生「西山、眠いか?」

 

西山「眠いです」

 

O先生「そうか、俺は眠そうに見えるか?」

 

西山「見えないです」

 

O先生「そう。これが男なんだ。男はな眠い時もつらい時に顔に出さない

そういう男ってかっこいいと思わないか?授業もあと少し頑張ろう」

 

 

と言われました

その人があまり寝ていないことも他の人から聞いたいたからこそ、響きました

 

「辛くても、周りに気が付かせないのが男」

今でもつらいなと感じている時に思い出す言葉でもあります

 

 

次が

O先輩

 

結論からいうと

高校生の時からやっていたバイトでしたが大学生の時に

バイトという立場にも関わらず、そのバイトをクビになりました

色々と話したいことがありますが今回は省略させていただきます

 

 

高校の時は確かにダメなバイトでしたが

大学生になってから心機一転、留学生の教育やお店のことを考えて仕事をしていました(説得力ない笑)

 

 

 

しかし、以前の失った信用を取り戻すのは大変です

 

そんな中、僕のことを最後まで信用してくれたのがO先輩でした

 

 

お前はできるやつや!

大丈夫!

西山とシフトだと嬉しいよ!

 

 

そしてこの方は、年上のお兄さんで

名古屋から上京していました

 

大学は、東京で一番頭のいい理系の学校でそこの学費も自分で払いながら

プロ野球選手を目指すために毎日練習もしていました

(撥の休み時間は自主練に行き、汗だくでバイト場に戻ってきます。そしてバイトが終わり帰っても自主練です)

 

その合間に起業の準備もしていました

 

睡眠時間も驚愕の3時間とか、、、

 

大学生の僕からしたら、異質でした

 

ここで僕は「努力の基準」を手に入れました

 

 

 

僕にはメンターが2人います

O先生「辛くても人に気が付かれないようにする事」

O先輩「努力の基準」を学びました

 

 

しかし、僕がお二人から学ばせてもらったことは、、、、

 

西山少年の小さな誓い

 

僕がお二人から学ばせてもらったことは、、、、

 

最後まで人を信じるという事

 

 

長々書いてきましたが

僕は、「最後まで人を信じる」そんな大人になることを誓いました

 

 

 

自分が人から信じてもらえなかったときの辛さ

 

変わろう!と思っても、信用されず応援されず

出来ない。意味がないといわれる中

 

 

 

たった一人の人からでも

信用されて、出来るよ。と言ってもらえたときの感覚

 

 

僕は、そんな存在の人間になりたい

 

 

ビジネスコミュニティの代表でもあり

小さな会社の社長でもあり

 

 

それよりも、一人の人として

 

僕は

「最後まで人の可能性を信用する人」でありたい

 

 

僕はそんな存在になる

 

たとえ僕に、名誉もお金もなかったとしても

どんな状況でも

 

人の可能性を最後まで信じ、応援できる人間である

 

 

それをここで誓います